島田  幸成 (しまだ  ゆきなり)
現在53歳
早稲田大学卒業
英国国立ノッティンガム大学院(修士)
東海大学大学院(博士)終了
現学校法人菅生学園理事長
前東京都議会議員(2期)
座右の銘:至誠一貫
家族:妻・長女(15歳)

羽村東小学校

私は3月29日が誕生日でしたので、低学年のときは、他の子と比べると小さくいつも前のほう。 どちらかというと、人前に立つのはあまり得意ではなく、奥手でした。

羽村第一中学校

この頃になると、体も少しずつ大きくなり、クラブはテニス部に。部長もやらせてもらいまし た。当時はどこも学校が荒れていました。校庭にバイクが入ってきて、大変でしたね。

国学院久我山高校

高校でも熱心にテニスを続けました。家から遠かったですが、3年間皆勤賞でした。テニスも頑 張って東京都でベスト16に入りました。青春でした。

早稲田大学

高校時代勉強はあまりしなかったので、一浪して大学へ進学。でも、予備校時代も楽しかったで す。地方からの学生も多く、また、早稲田独特の雰囲気で、刺激的な学生生活でした。

イギリスノッティンガム大学

憧れのイギリス留学。高校時代にロータリーの交換留学で家にオーストラリアから来ていた留学 生と交流するなかで、いつか海外留学したいと思っていました。様々な国から来ている留学生と の交流。この体験は後の人生に大きな影響を与えました。

菅生学園

帰国後、兄が交通事故で他界。他の仕事もやりたかったのですが、父が理事長を務める菅生学園 に就職。総務の仕事や英語の授業を担当しました。そして、34歳のときにいきなり中等部の校長 を命ぜられ、学校改革に取り組みました。若かったですね。先生方もよく協力してくれました。 オーストラリアへの修学旅行など楽しい思い出がいっぱいです。

あきる野青年会議所

校長になる前ですが、あきる野青年会議所に所属し、地域貢献活動をさせてもらいました。この 経験も大変貴重でしたし、仲間も増えました。夜遅くまで、酒をのみながら、ボランティア活動 について語りあいました。この経験がなかったら後の政治活動へは進まなかったかもしれません。

東京都議会議員

民主党が政権を取るちょうど前でした。当時、就いていた高校の校長を辞め、思いきって都議選 挙へ出馬。民主党が掲げた高等学校授業料無償化政策を進めたいと思いもありました。実際、 議員になり、体験してみると大変な仕事だと思い知りましたが、同時にやりがいのある仕事でし た。

菅生学園理事長

都議一期目の時でしたが、菅生学園創設者の 父島田久が74歳の時に他界。43歳の時に父か ら継承して理事長に就任しました。政治の仕 事もあり、二足のわらじですが、役員や教職 員各位のたゆまぬご尽力のおかげで、現在に わたり、理事長としても活動しています。

立憲民主党東京都第25区総支部長

都議を2期務め、3期目の都議選挙無所属にな り、臨みましたが落選。選挙の難しさを知る ことになりました。でも、議員を辞め改めて 感じることありました。落選しても応援して くれる後援会や仲間はありがたいですね。こ の間、都連幹事長の手塚代議士から支部長へ の就任依頼をいただき、現在、活動を進めて います。